バースデーⅣ


「ずっと一緒にいる気がするね」
 多くの人が行き交う午後のアキバで街路を見渡す樫のベンチに座ったルンデルハウスに、隣の五十鈴がそんなことを言った。
 二人の間の十五センチには、紙製のボックスにはいったホットサンドとまだ口をつけるのが躊躇われるほど熱いホットチョコレートが挟まれている。
「そうかな」
「うん、そう思う。ルディはちがうの?」
「そういえば、そんな気がする」
 ルンデルハウスは頭を叩かれた思い出や、頭を殴られた思い出や、げんこつの思い出を封印して素直に頷いた。
「たしかにミス五十鈴には世話になっているようだ」
 それは「もう殴らないで欲しいのだが」という意志を婉曲に表現した要望だった。
「お世話なんてしてないけどね~」
 陶製のタンブラー小さく抱きしめるようにした五十鈴がにこりと笑ってルンデルハウスを横から覗き込むように見上げる。通じてないのを理解したルンデルハウスは視線をずらした。彼女にはこういった社交的修辞が通用しないのだ。まあ、かといって、直接的に「殴らないでくれミス五十鈴」などと言っても、なんだかんだと反論されて結局雷は落ちてくる。
 怒られる理由はわかるし納得のいくケースが多いのだが、だからといって常に避けられるというものでもない。勇敢な〈冒険者〉が正義と道理を貫くために支払うべき義務とでも言うべきものだろう。

 二人の前を該当をまとった人々が通り過ぎていく。
 一人で、あるいは親しい二人で、あるいは仲間たちと。たった二週間で秋は唐突に終わり、アキバは冬一色になってしまった。どうやら厚着が苦手らしいこの少女は、そんな季節だというのに、毛織りのケープ一枚をはおっただけの普段通りの軽装だ。ルンデルハウスとしてはもうちょっと暖かい服装で過ごして欲しいのだが、〈冒険者〉の文化なのだ、といわれてしまえば反論するのも難しい。見ているだけで寒そうだといっても、少女は決して納得してくれないだろうし、ルンデルハウスの別の懸念はもっと理解してくれないだろう。
「なにか気に入ったのあった?」
「むむむ。難しいことを言うな」
 ルンデルハウスは唸った。
 五十鈴は仲間たちから預けられたゴールドを詰め込んだ小さなお財布を握りしめている。
 今日はルンデルハウス=コード、〈冒険者〉になったこの青年の誕生日なのだ。
 別段吹聴するつもりはなかったのだが、彼の誕生日は、年少組と呼ばれるルンデルハウスの仲間たちには知られてしまっている。彼の親友たるトウヤと聡明な少女ミノリは双子の兄妹(姉弟?)だ。そのめでたい誕生日を秋口に祝ったとき、尋ねられて答えたのだ。祝って欲しいと思う年齢は過ぎているとルンデルハウスは思っていたが、かといって秘密を守り抜きたいという事柄でもない。
 結果知られて、本日の誕生日会ということになった。これも〈冒険者〉の文化らしい。
 アキバの人々は祝い事が大好きだ。
 その意味では夜会を繰り返す貴族と少し似ている。だがこちらの方は、社交と言うよりも娯楽という側面が強いらしい。〈冒険者〉になってからわかったが、この身体はめちゃくちゃだ。怪我はすぐに癒えるし、睡眠時間は少なくても問題がない。日が暮れてからも洋燈(ランプ)をともして歓談に興じるという生活にも納得がいく。
 そんな生活なので、ちょっとした祝い事を仲間内で行うというのは〈冒険者〉において一般的な風習のようだ。そしてその際に贈り物をするのも同様である。
 ルンデルハウスは今回プレゼントをもらえる立場らしい。「らしい」というのは、隣に座る少女、五十鈴と、プレゼントを購入しに来ているからだ。
 何が欲しいのか? というトウヤの直球の問いに「気品あふれるボクにふさわしい品は限られているからね」と返したところ、五十鈴やセララには非難がましい視線でにらまれてしまった。一応言い訳は色々あったのだが、ルンデルハウスを除いた四人の会議によって、五十鈴と二人で一緒に買ってくるようにとギルドハウスを追い出されてしまったのだ。
 トウヤたちはパーティーの準備をするらしい。
 部屋を暖めて、色とりどりのクッションを並べ、ごちそうを用意するのだろう。それは双子の誕生日を祝った経験からよく知っている。にゃん太の「期待してよいですにゃ」という言葉だけで夢が膨らむというものだ。うっすらと漂っていた肉汁の香りからすれば、晩餐はとてつもない料理だろう。隣の五十鈴のお腹が微かになったのを指摘するほど、ルンデルハウスは無粋ではないつもりだ。
「ルーディ。なに考えてるの?」
「にゃん太班長の特筆すべき料理の技量についてさ」
 素直に答えたが、五十鈴に「真面目に考えて」と怒られてしまった。
 しかしそんな五十鈴だってやはりにゃん太班長のディナーの魅惑には抗いきれないのだ。しばらくして「ケーキもあるかな?」と尋ねてくる始末だ。
 自分たちの食い意地にひとしきり笑ったあと、ふたりは最後に残っていた七面鳥(ターキー)のサンドをふたつにわけて平らげた。しっとりしたきめ細かい舌触り。流石人気店のテイクアウト。アキバの食環境は世界最高だとルンデルハウスは確信を新たにする。
 隣を見ればとろけそうな笑顔の五十鈴と目があった。
 お互い様なのは二人とも判っているので、そのまま頬を膨らませてふふふと笑いあう。美味しいものは万国共通なのだ。淑女の作法で言えば多少はしたないのかもしれないが、ルンデルハウスもこの街でとがめようとは思わない。
 とはいえ、最低限の身だしなみは必要だろう。
 胸のポケットからハンカチーフを五十鈴に差し出すと、向こうも同じく差し出すところだった。違いは、彼女は差し出したそのままルンデルハウスの口元をぬぐうつもりだったところだろう。
 咳払いをしてハンカチーフを交換したあと、二人で満足のため息をついた。
 冬の外気は冷え込んでいるが、いまならばまだ午後の日光がこのベンチに差し込んでいる。暖かいホットチョコレートを挟んで、どこからか小さく金管楽団(ブラスバンド)の演奏が聞こえてきた。五十鈴の投げ出したつま先が、左右にゆれて、舞曲(リゴドン)を踊っているようだ。
「満足!」
 五十鈴は弾むように断言した。
 遅めのランチのことだと思うが、もっとそれ以上のことかもしれない。
 ルンデルハウスは追求しなかった。たぶん同じ気持ちだったからだ。
 何もかも含めて、この午後は完璧な午後だった。

「ミス五十鈴はいつも良い顔で笑うのだな」
「なんかルディといると疲れないんだもん」
 反論をしかけた少女は、それを引っ込めて、あっさりとそう言った。気持ちはわかる。お腹がいっぱいの時、人は、いさかいをする気を持てないものだ。
「そうなのか」
「うん。女の子らしくしなきゃいけないとか、楽しそうにしてなきゃいけないとか、そういうのが無くて、いつもそのままでいられる感じ?」
 感じ? と聴かれても男性であるルンデルハウスには判らないが、貴族の子女について考えてみると、その意見にもうなずけないわけではない。男性や騎士には判らぬ葛藤と圧力が、淑女にはあるのだろう。
 ではそれは一体何なのか? と考えても答えは出ない。礼儀作法の教育を乳母にうけるとか、目が痛くなるような刺繍を何時間もやらされるとか、魂が口から彷徨いだしてしまいそうなほど難解なご先祖様の名前暗記レースを強要されている気配は、冒険者である五十鈴やミノリにはない。
 とはいえ、ルンデルハウスには判らない、アキバ特有の女性的な教育があるのかもしれない。ルンデルハウスは早々に考察を放棄して、本人に聴いてみた。
「ミス五十鈴は素敵な女性だし、いつも楽しげだと思うが?」
 え、そっかな。
 そうかなー。
 五十鈴は柔らかそうな前髪を指先でくるくるとしながら考え込んでいる。
 苺のような柔らかい紅色を頬に浮かべた五十鈴は十分にレディらしく見える。
 だがしかしルンデルハウスは一切の油断をしなかった。
 〈冒険者〉と〈大地人〉は違う存在なのだ。
 いまは〈冒険者〉の肉体を手に入れたルンデルハウスだからこそ、その差異には日夜驚かされている。存在が違えば、風習や文化が違うのも当たり前のこと。豊かさも違うから生活習慣さえ違う。〈冒険者〉の男女を問わない戦闘能力などは、その最たるものだろう。五十鈴のこの煮え切らない態度もそういった弱気の表れかもしれない。
 そんな劣等感を五十鈴には抱いて欲しくはなかった。
 彼女はルンデルハウスの知る限り一番勇敢で可愛らしい女の子なのだ。
「ミス五十鈴ほど勇猛な女性はなかなかいない! 先日〈灰色熊〉を屠った一撃も見事なものだった。騎士団見習いの有望株と言われたボクが保証しようじゃないか」
 安心させるような笑みを浮かべた(つもりの)ルンデルハウスは、今日も五十鈴のげんこつをもらうことになった。

 すっかり機嫌を悪くしてしまった五十鈴の隣をルンデルハウスは神妙に歩いて行く。
 こういうとき、あまり言い訳をしない方が賢明だということはこの半年で学んでいる。それに、不思議なことにそこまで居心地が悪いわけではない。
 五十鈴は怒ったからといって大股に歩いてルンデルハウスを置いていったりはしない。「怒ってるんだから!」といいつつも、ルンデルハウスの隣にいてくれる。
 視線を降ろすと、口をへの字にした五十鈴と視線があった。
 もっと反省しなさい! そういう表情だ。ルンデルハウスはこくこくと頷いて返した。ここで「レディに曇り顔は似合わないよ、ミス五十鈴。さあ、このハンカチーフで鼻をかんで」などというのは逆効果だ。まあ、いまでも三回に一回はそれに類似した失敗をしてしまうのだが、これでも日々学んでいるルンデルハウスなのだ。切れ者冒険者は失敗を繰り返さないと、留守中のギルドマスターも言っていた。
 その甲斐あってか、小さくため息をついた五十鈴はルンデルハウスの右手の手袋を無理矢理脱がして強奪することで、お仕置きを満足したようだった。
 サイズが少し余る男性用の手袋を右手だけつけた五十鈴は、胸の前で何度も握ったり開いたりしたあと、胸を張って「ふむ」と頷いた。
「ルディ相手ってあんまり長い間、怒ってられないんだよね」
「そうなのか」
 いいやそんな事はない。
 期間はともかく頻度はかなり高い。
 そんな返事もまた、禁物である。
「何度も仲直りしたせいかな?」
「そもそもミス五十鈴と仲違いなんてしたことはないだろう?」
 ルンデルハウスの指摘に「そうかな」と彼女は首をかしげていた。ルンデルハウスは、腕を組んで考え込むその姿をいつまでも眺めていたいような気分になる。
「ずっと一緒にいるからなのではないか?」
 そっか。
 そうだよね!
 うん、ルディが悪いんだね!
 今日一番の笑顔で笑った彼女がくるりと旋回したせいで、ケープが花のように広がった。はしばみ色のお下げが、その彼女を追いかけるようにループを描く。音楽的なテンポで二三歩歩き出した彼女は、ルンデルハウスを誘うように大きな看板を下げた廃ビルを指し示した。
 それからはまた、プレゼントは何にするのかという本日の主題とも言える買い物の時間だった。仲間たちからもお小遣いを預かってきた五十鈴は「なにかすごいものを贈る」と言って聞かず、ルンデルハウスの「そんなに気を使う必要はないだろう」という主張と対立した。結果、午前中に続いて店舗巡りの旅となるのだ。
 〈ココアブラウン〉や〈第八商店街〉系列の大規模商店を経由して〈ANTIQUE〉や〈変人窟〉にまで足を伸ばすことになった。
 〈冒険者〉の驚異的体力、もしくは女性の驚異的な集中力を発揮してルンデルハウスを引きずり回す五十鈴は、そのあと終始上機嫌だった。手袋は奪われたままだったが、ルンデルハウスは気にもかけなかった。もし五十鈴が寒いのであれば、もう半分の手袋だって提供しても良かったのだが、五十鈴によれば左手は不要らしい。

「ルディ、ルディってば」
「なんだね、ミス五十鈴? 紳士にして冒険者であるこのボクになにかできることでもあるのかね?」
 ルンデルハウスの正しい気遣いに、五十鈴は大ぶりの紙袋を手渡してきた。
 ほんの僅かな間考え事をしていただけなのに、パーティーへの差し入れを幾つも買い込んだらしい。瓶詰めの果実水などもあり、けっこうな重さになるそれを、最近めっきりと力をつけた〈妖術師〉の青年は慌てて受け止めた。
「半分こ」
 同じだけの紙袋を右手で抱えた五十鈴は、首をかしげて「帰ろ?」と促してくる。
 いつの間にかルンデルハウスへのプレゼントも決まっていたと見える。
 選んだ覚えはないが、それはそれで楽しみが増える気もした。誕生日に贈り物をもらうなんて、屋敷が炎と煙に消えていったあの夜から、二度とあるとは思わなかったが、人生とは不可思議なものだなあ、とルンデルハウスは一人で頷いて、紙袋を左手で抱えた。

 店舗から表に出ると、街はいつの間にかオレンジ色の光で満たされていた。
 冬の夕暮れは足早に家へ向かう大勢の人々で賑わっている。
 〈チョウシの町〉での合宿に参加するまで、ルンデルハウスを傷つけていた光景が、いまは優しげなそれとして目の前にあった。
 ずっと一緒にいる気がするね、というのは、ずっと一緒にいられる気がしてる、という無邪気な信頼なのだとルンデルハウスは思った。その言葉の意味を、この風に乗る歌声のようなあどけない少女は、たぶん判ってはいないのだろう。だが、そんなことを告げて大事な仲間の表情を陰らせたくはなかった。突然の別離など世にありふれている。家族であってもそうなのだ。
 だがこの完璧な一日はその道程として存在しているわけではない。
 楽しげなざわめきを大事なものだと感じさせてくれる右手の少女と、ルンデルハウスは〈記録の地平線〉(ギルドハウス)への帰途へと着くのだった。
 今日のごちそうはなんだろう、と話し合いながら。確かにそれは、二人が出会ってきてからずっと話し合ってきた、毎日の変わらぬ会話だった。




© Touno Mamare 2015