A Mad Tea-Party
◆1
オフ会とは、オンライン(つまりはネット)で知り合った人がオフライン(つまりは対面)で集まって、雑談したり遊んだりするイベントのことである。
カナミが言い出して集まる場合と、カナミが突然言い出して集まる場合だ。
突然の場合は前日の夜などに騒ぎ始めるので、多くの場合計画性もなにもない。白くまが見たいので動物園にいこうとか、みんなで映画(単館上映のドマイナー作品)にいこうとか、人形焼きを作ってみたいとか、そんな具合だ。こういう場合シロエが苦労をすることになっている。それはなかなかに騒がしく面倒でもある話だった。
一方でカナミが言い出して集まる場合というのは、漠然と「集まりたい」「なにか騒ぎたい」「話したいよ」などというリクエストが発せられる場合である。この場合は突発ではないので、期日の調整をして、少し多めのメンバーに声をかけることになる。
こういった場合はKRの出番だ。
なんだかんだと遊び人のKRはなぜだかはわからないが食い道楽の店を数多く知っていて、予約をねじ込む不思議な能力を備えている。幹事を任せてはずれ無しという人材である。シロエに優しいオフ会では多くの場合KRが働いている。
とはいえ集まったのは関東近辺に住まうメンバー五人だけだった。
幹事KR、言い出しっぺのリーダー・カナミ、直継、酒飲み主婦のスイカズラ女史、それに引っ張り出された便利要員シロエ。
住まいを知らないメンバーすらいるくらいだ。
隠れ家的名店というのだっけ?
と鐘城恵ことシロエはその日も思ったものだった。
グルメ趣味がないシロエにとって聞き覚えのない店だったが、それでもその店がなんだか居心地が良いのはわかる。
広過ぎもせず、狭過ぎもしない個室は掘り炬燵になっていて、案内してくれた和装の仲居さんは上品な感じだった。これはさすがに高級店なのでは? と参加費のことを考えてちょっとびくついてしまうシロエだ。
夏にやった製図のバイトはそこそこの現金をシロエにもたらしていたが、それだって学生視点でのそこそこであり、こんな高級店で気軽に飲食するのははばかられた。
そのへんは幹事KRもわかっていて「参加費は四千五百円な。飲み放題じゃないけど、飲み物はオレが持ち込むから平気だし」と事前に教えてくれている。だが、事前に聞いていても、いざ上品な個室に通されるとびくついてしまうのだ。このへんは社会経験の浅さというほかない。
「やったー! なんか美味そうな店だな、シロ!」
となりでのんきに喜んでいる直継を見ると、そうでもないのかな、とシロエは思った。直継だってシロエと同じ大学生なのにちっとも気後れしていない。
「あたし奥の席!」
相変わらず完全にマイペースのカナミは一番奥の一角に早速潜り込む。薄手のコートを脱皮でもするようにもぞもぞと脱ぎ捨てると、両手を炬燵布団に差し入れて眼を細める。
こちらもまったく物怖じしてない。
というか、シロエはカナミが物怖じしているシーンを見たことがなかった。
集団の雰囲気はその長が作る、なんてのはビジネス書でも良く聞く言い回しだが、無鉄砲で脳天着物が多い〈茶会〉のなかでも、そのリーダーであるカナミのそれはずば抜けている。
「雰囲気あるねえ」
「でしょでしょ?」
主婦でゲーマーのカズ女史は大きく微笑みながらKRの店選びを褒めていた。まったく気圧されてないようだ。
(結局僕が小心者って事なのかな)
シロエは肩を落とす。
このメンバーの中では最年少だと言うことも慰めにはならなかった。
「シロくん、シロくん」
「なんです? カナミさん」
「うへへー。みかん食べる?」
「いえいいです」
「ちぇーっ」
猫のように口元をむにゅむにゅと動かしたタレ目の美女リーダーは、いつもどおり無軌道な言動でシロエにちょっかいをかけてくる。すっきりした眉の下の瞳は星のように輝いている。文字通り、キラキラしているのだ。
悪戯そうな微笑みということばがあるが、カナミの場合悪戯そうなのは全身だ。
びっくりするくらい美人な〈茶会〉のリーダーは、それを台無しにするほど残念な女性でもある。
直継ともどもこたつに潜り込んで、シロエは指先を温める。だからこそいっしょにいる事になったんだよなあ、とシロエは思い出した。
シロエが思うにカナミは災害の一種だ。台風に似ている。強引に巻き込んでくるしひどい目にあわせられることばかりだ。
しかし、シロエだって男子の端くれとして、豪雨と向かい風の中で笑いながらはしゃぎたいという夢を見たことはある。小さいころの夢だが、性格上実施できなかったために余計に憧れになっている部分はあるのだと自己分析している。
カナミに魅力がないとはとても言えない。
それにそんなカナミがつくったこの場所は居心地が良い。茶会、とはじめは呼ばれていた。放蕩者がついたのはKRがカナミをはやし立ててからだ。
そんな名前も、シロエは気に入っている。
茶会はよい場所で、今日はそのオフ会なのだ。
本日の会合場所は神田某所にあるすき焼きの専門店だ。臙脂色のマフラーをゆっくりと解く青年KRが「知り合いの知り合いがやってる店なんだよ。いい感じに個室もあるしさ。飲み物持ってけば安上がりだよ」だなどと言ったので決定された。
そのKRは今日も相変わらず、ジャージのボトムの上には厚手のTシャツである。
何処へ行くにも健康サンダルにジャージなのだ。おそらく金持ちだと思うのだが、酔狂な趣味人、というのがシロエのKRに対する理解だった。
職業はよく知らないが病院で働いているらしい。医者なのかと聞いたことがあるが、他人の身体を切るなんて怖くて出来ないと言っていた。神奈川の方に暮らしているはずなのだが、オフ会への参加率は高い。いつ働いているか謎の社会人で、シロエのよく知らない種類の車にのって駆け付ける。
直継はSRT・バイパーだと言っていたがシロエにはピンとは来なかった。高級な外車らしいと言うことは判るのだが、助手席にはコンビニの袋に烏龍茶のペットボトルを入れていたりすることが多い。
やはりどう考えても謎の人物だ。
「本日のスペシャルゲスト~」
おしぼりを渡してくれた仲居に「頼んでおいたコースで適当にー」と告げた後、そのKRは脳天気な宣言とともに荷物からタブレットを出した。
B5サイズの板状デバイスだ。ここ数年でどんどんと値段を下げて量販店でも売られている代物である。シロエも似たようなガジェットは持っているので、そこは少しほっとする。
「なにがゲストなんだい?」
「いや、ほら。待望の」
KRの要領を得ない言葉に、カズ女史も直継も頭の上に?マークを浮かべる。
その様子にシロエはなんだかいやな予感をおぼえた。
シロエの予感はこういうとき当たるのだ。
KRがセットアップを続けていたタブレットを専用スタンドに立てかけてスイッチを押すと、しばらくの間はピンぼけしていた画像がグルグルと動く。画面はネット越しにどこかのカメラに接続されたらしい、やがて天井がうつり、そして何度も揺れて、女性らしい手元を写しだした。
「あれれ。顔写してくれないの?
『なんであなたに顔見せなきゃいけないわけ? 女性の部屋のカメラ中継とか変態なの?』
「手厳しいなあ。オフに参加できないキミのためにせっかくカメラ送ったのに」
『頭ごなしに送りつけられてもわからないわよ』
「またまた。希望してたくせに」
『私が望んだのはカナミと会議することでしょ』
「その割には接続上手くいってるみたいじゃない」
その声には聞き覚えがあった。やはり〈茶会〉の一員であるインティクスという女性だ。〈エルダー・テイル〉はボイスチャットでのプレイが一般的で、ネット越しに他のプレイヤーと音声通話をしながら行うゲームである。だから声だけはしっているメンバーも多い。
インティクスは茶会の中でも参謀格で意志のはっきりしたメンバーだ。レイド指向で新規クエストや大物アイテム狙いのタイプである。オフ会に参加することはなかったが、常々そのあたりを茶会のリーダーであるカナミと話したいとは言っていた。KRが気を効かせたのだろうが、それはどうなんだろう? とシロエは思う。
「あのよう、シロ」
「なに? 直継」
小声になった直継にシロエもこっそりと答える。
「あれってKRの趣味じゃね?」
「だよね」
KRの晴れがましい笑顔を見れば一目瞭然だった。あの趣味人の青年はにやにや笑いながら本当に楽しそうにしている。救いを求めるようにカズ女史を見るが、彼女は彼女でなにも判ってないような顔で首を左右に振るばかりだ。
なにも判ってないような表情が出来る時点で、なにもかも判っていると言うことなのだが。
相変わらずやりたい放題なKRだとシロエは思う。
そのとなりではカナミが乾杯もしないうちに手持ちのみかんをむしゃむしゃと食べていた。茶会のリーダーはいつでもフリーダムだ。あまりにも大きく口を開けるから、小ぶりなみかんの半分をひとくちに食べられるほどだ。
シロエはそんな女性を見たことがない。
ショックを受けると共に感動してしまうほどだ。
カナミモKRもカズ女子もこんな感じなのだ。
協調性というものが全くない集団である。
それでもそのとらえどころのない自由さは心地良くもあるのだ。シロエは味わったことがないが、直継に言わせると「学園祭みたいじゃね?」ということらしい。
お祭りとその準備が、交互に打ち寄せてきて、ずっと夢の中にいるようだった。
シロエはそんな時間を幸せだと思っている。
とはいえ直継と視線を交わしあって「この件はスルーしよう」という意志を交換する。毎日が楽しいのは良いことだが、それはもめ事の地雷を避けるのに成功すればこそだ。KRの趣味に口を挟む必要はない。
「やー。キミ専用のタブレットなんだよこれ。ほらほら。新調しちゃった」
『新調しちゃった、じゃないわよ。なにこれ……? きもちわるいわ』
「えー。そうかなあ。最新のデコじゃない? 女子高生に頼んだんだけど」
『あんた女子高生の知り合いなんて居るの?』
「ミスタードーナツで隣りに座ってたグループに頼んだんだ」
『信じられない』
「世の中って脅威に満ちてるよね」
KRが延々とタブレットに話しかけている横で、仲居さんがグラスと突き出しを持ってきてくれた。相当恥ずかしい集団のはずなのにツッコミをしないでくれたことにシロエは感謝する。
「シロくーん。んっ!」
グラスを突き出すカナミにグレープフルーツジュースを注いで、自分にはプーアール茶。カズ女史と直継が生ビールをグラスに移したところで、カナミが乾杯の音頭をとった。KRもちゃっかりとワインをあけている。
「わわー。かんぱーい! いただきまーっす」
「洒落た突き出しだなあこれ。なあ、シロ」
「うん」
「わたしビールおかわり」
「早っ」
「わったしもおっかわりー!」
女性陣、とくにカズ女史がビールを秒殺することで、本格的な料理が届き始めた。
こうして
◆2
「おっと、そちらでも飲み物や食い物はいっちゃってくれよ?」
『そうじゃなくて、カメラをカナミに向けなさいよ』
「じゃーん。卵を割っちゃいます。なんでもこれ、栃木の契約農家のこだわり朝うみ卵らしいよ?」
『そんなことは聞いてないわ』
ここのすき焼きは仲居さんが作ってくれるということで、シロエたちはお任せをした。お店の人だから慣れているのはあたりまえなのだが、芸術的な手際で鉄鍋に肉が投入されると、油のはじける音に甘い香りがただよう。
その時点で直継やシロエの期待度は最高潮に達した。
自分がグルメだとは思わないシロエだが、それだって、こう演出されてはいやがおうにも期待は高まる。赤いというよりは紅色の牛肉が色づくころには野菜類も投下された。
絵塗りの大皿には輝くような白滝、クリーム色の豆腐、みずみずしい長ネギに、鮮やかな色の春菊が見栄え良く盛られている。
シロエ的には豆腐なんかも期待度が高い。
豆腐はよい食べ物だ。
食欲がなくても食べられるし、味を吸って美味しいし、鍋物には欠かせない。
肉や魚介に比べて脚光は浴びないが十分な風格を備えた主役級食材だとシロエは思っている。
「肉うまーい!」
「肉うめー!」
「美味しいな、これは」
シロエが豆腐について考えを巡らせていると、いつの間にかカナミや直継が肉を頬張っていた。台無しだ。空気が読めないにもほどがある。
中居さんが取り分けてくれたわけではない。
未確認の鉄鍋からいきなり強奪したのだ。
正真正銘無軌道な人間たちである。仲居さんがくすくすと笑いながら取り分けてくれたすき焼きをシロエは小さく食べてゆく。
味は絶品だった。
豆腐も入っていたのでシロエは満足だ。
カナミがシロエに予定されていた三枚目の肉を奪っても、シロエは恨まなかった。豆腐があればまだ戦える。別にしょんぼりしたりはしないのだ。
「お嬢のまえに最高級肉をお供えー! やったー美味しそう!」
『最低ね、変態』
「はっふはっふ。美味しいよ、これすごーい」
『はやく死になさいよ』
「すげえなKR。鬼だな」
「うん、僕あれには近寄れないなあ」
「あー。オレたち凡人は素直にこっちで続きをイートだぜ」
「美味しいね」
「おお。やっべーよ。肉甘いもん」
直継は体格に見合って健啖家だ。
カナミ、カズ女史も女性にしては気持ちよい食べっぷりを見せる。
KRは酒を飲みながらつまむ程度だが、シロエだって健康な大学生だ。普段はカロリーバーを主食にしているとは言え、味覚がないわけでもないし、人並みに食べられる。鍋料理はむしろ好きな部類だ。
ましてやこんなに美味しいのだから、メンバーはかなりのペースで食べ進めていった。
仲居さんが何度か肉の追加を持ってきてくれる。
シロエとしては、大丈夫なのかな? なんて心配もするほどだ。KRが断言したからには定額のコースなのだろうが、店の利益が出るのかどうかは疑わしい。客の立場から心配をする必要も義理もないのだが、そういうことを考えてしまうのがシロエなのだった。
この店を選んだのがKRでありシロエが十分に下調べが出来ていなかったのも心配の原因だ。
つまり小心者なんだな、とシロエは自己分析する。
「ったくもう。あんまりいじめちゃダメだってばKR。秧鶏ー。おひさー」
『こんばんわ。カナミ。レイドの方針会議だって聞いたのだけど』
「方針会議? だれから?」
『薄影眼鏡から』
「おいシロ、なんかいわれてんぞ」
「関わり合いたくないのに」
「まあな。おれ肉喰いに来ただけだし」
「関わらないでいいなら豆腐だけでもいいや」
女性というのは面倒だ。
それがシロエの偽らざる感想である。
なにより感情の動きが予測不能だ。唐突で理解不能な気分転換を見せる。理不尽だ。シロエの少ない観察結果からすれば、女性というのはある種の自然現象だと思う。ゲリラ豪雨の仲間なのだ。
インティクスという女性はシロエからすれば茶会の先輩だ。風紀委員長的存在でもある。シロエはまったく他意はないのだが、絡まれることが多い。意味が分からない。
機嫌がよいときもあるのだが、たいがいは不機嫌だし、口が悪い。
「そうなの? シロくん?」
「本日はただの宴会ですよ」
『カナミと会うって言ったじゃない』
「ご飯食べてるだけじゃないですか」
シロエは丁寧に反論をする。女性は自然現象なので反論は受け付けないが、反論をしないと言質を取られたとみなされる場合がある。中学時代からの教訓だ。
そもそも「カナミと会う」を「方針会議である」と決めつけているのはインクティスなのだ。そんな誤解をしている時点で会話が通じるわけがない。
「秧鶏はうっかりさんだなあ」
『だまりなさいよバカジャージ』
「カナミが方針会議なんて、そんな賢いことできるわけ無いだろう? な?」
急にKRから話をふられたカナミは、とりわけの呑水を持ったまま、リスのように両頬をふくらませていた。肉を頬張っているのだ。
「わたひまら食へられうよ?」
「せめて味わって食べてくださいよ、カナミさん」
「わたし食べるひと、シロくん作るひと♪」
とろけるようなカナミの笑顔にシロエはがっくりと肩を落とした。
予想通りにカナミは役に立たないしKRに事態を収拾するつもりはない。直継になすりつけるつもりにはなれないし、カズ女史はもうすでにジョッキで五杯目だ。
いつものように自分がどうにかするしかないんだろうなあ、と小さくため息を付いた。
『説明しなさいよ。眼鏡』
「自分だってかけてるくせに」
『説明しなさいよ。三下眼鏡』
「〈九大監獄〉の攻略に関してはさっき茶店で話しました。攻略方法のレポートは昨日の二〇時にメンバーサイトにアップ済み。週末のメインタンクは直継。消耗品担当はラムマトンさん、班長、沙姫ひめ。アタックリーダーはインティクスさんお願いします」
『週末ってどっち』
「日曜を考えています。開始時間は二十一時から。四時間くらいで」
『いけるの?』
「おいおい、インティクスさん無茶言うなよ。初回で行けるほど甘くねえだろ。様子見だよ」
『それじゃ――』
「おいおい、直継。君こそ無茶を言うな、そこの
『だまりなさいよジャージ』
「んなこといったって、ひとりでカリカリしてちゃいけるもんもいけねえよ」
「カリカリベーコンか?」
「わたしたちはすき焼きで乾杯だけどな!」
インティクスの奮戦も虚しく、その混ぜっ返しで勢いがついた場はどんどんとダジャレに支配されていく。それはいつもどおりの茶会の日常だった。友だち同士でくだらない話をずっと続けているような空気。それが茶会の中心なのだ。
シロエは小さく微笑む。表だって言ったことはないけれど、そして不器用なシロエはいつも絡んでいけるとは限らないけれど、シロエはこの空気が好きなのだ。
話題は肉から
『あ、あなたたち……。自覚してないの!?』
「自覚はあるぜ。こんな美味いもん食えて幸せだ」
「幸せだよねえー!」
「口福ってやつだ」
「KRさんの店選びに感謝します」
「まあね。接待で使う店で無理が効く。ゆっくり味わえばいいさ」
『そういう話じゃないでしょう! いまや
混ぜっ返す話はインティクスによって再び論旨に戻ってきた。インティクスの言ってることは事実だ。
〈ヘイロースの九大監獄〉は〈夢幻の心臓〉で追加されたレイドコンテンツだった。追加された時期はいまから三ヶ月ほど前。いまや全世界の大規模戦闘が可能なハイエンドな〈エルダー・テイル〉プレイヤーは、この難関コンテンツ攻略に血道を上げている。ひとくちに〈ヘイロースの九大監獄〉といってもそのコンテンツに含まれるダンジョンは九つもあるらしい。らしいというのは、どんなプレイヤーもまだ攻略を成功させていないからだ。
この真新しいコンテンツには新しいダンジョン、新しいモンスター、そして新しい幻想級アイテムが〈冒険者〉をまっている。
世界ユーザーの攻略状況は横においておいたとしても、茶会は日本サーバーの攻略状況では第四位につけていた。それは日本サーバーで十数万はいるといわれる〈エルダー・テイル〉ユーザーの中で、上位百人程度の集団に入っていることを意味する。それはたしかに、人によっては羨ましい立場に見える位置だった。
「なんでそんなに頑張るかなあ」
「ほら。この
そんなインクティスの言葉を、直継とKRはバッサリと切り捨てた。
彼女の言う通り、シロエたちはサーバー内のレイドコンテンツ早期攻略レースにおいて悪くない成績につけている。茶会のような寄せ集めの集団がそのような位置につけているのは、ひとつの奇跡だった。現実には奇跡なんかで大規模戦闘コンテンツがクリアできるわけはないので、理由はもちろん存在する。
ひとつにはKRの存在だ。ふざけた言動とは裏腹な知性派である彼は、ああ見えて四カ国語を操る。世界展開しているとはいえ、〈エルダー・テイル〉は北米発祥のゲームだ。本場の、そして最新の情報の多くは英語でされている。国内サーバーの追加コンテンツとはいえ、戦闘部分は米アタルヴァ社が作成して各国提供したそれのローカライズであることが少なくない。つまり、他サーバーでの攻略情報は十分に価値を持っているのである。KRが暇にあかせて翻訳して持ってくる情報の密度は国内サーバーの攻略情報の規模をはるかに超える。
シロエもまた海外の
渉外や折衝面で活動しているのがインクティスだ。同じ大規模コンテンツに挑戦していれば、外部のギルドと接触することは少なくない。同じゲームをプレイしているのだから友好的な接触をすればいいのだが、早期攻略レースという環境では険悪な関係になることも少なくない。たとえばあるゾーンに数時間に一回だけ発生するイベントをどちらが先に挑戦するか? などといった状況は、頻繁に発生するのだ。
メンバーに対しては口汚い彼女だが、完璧主義な猫かぶりは対外的な交渉で付け入る隙を見せなかった。自由気ままで享楽主義な〈茶会〉という集団が、いまにいたるまでサーバー内の悪評に潰されずにこれたのは、インクティスの手柄が大きい。
そのほかにも、忍冬ことカズ女史、直継、ソウジロウ、ぬるかんという優秀な戦士職がメンバーに在籍したことは攻略上大きなアドバンテージだろう。レイドボスの攻撃を一手に引き受ける戦士職は精神的にもゲーム内の資産的にもストレスの大きい立場である。不平をこぼさず汗を流してくれる戦士職は貴重なのだ。
だが、それ以上に、最大の理由はカナミだろう。
〈茶会〉は大規模戦闘に実利も栄誉も求めない。
ただひたすらに“新しい景色”だけを求める。
それがおそらく〈茶会〉の強さだとシロエは考えている。綺麗事ではなく、それはひとつの武器なのだ。
栄誉を求めすぎれば仲間に無理を強要してしまうだろう。そういったノルマ意識は短期的な成績を押し上げることはできても、いずれは組織を疲弊させてしまう。
実利を求めるといえば、大規模戦闘産出の幻想級アイテムなどであろうが、そちらはより顕著だ。幻想級アイテムというのは厳しいレイドをくぐりぬけてやっと数個入手できるものなのだ。参加者全員に希望通りのアイテムを配布するためには、その厳しい戦闘を何十回となく繰り返す必要がある。そんな希少なアイテムの入手だけを目標として掲げれば、自分のアイテム入手が終わったメンバーは他のメンバーに協力する動機を失う。自分の分け前が手に入った時点でギルドを脱退するなどという話は枚挙にいとまがない。
「うんわあ、いい匂い! わたしお肉入れちゃう!」
「このへんはもう食べても平気ですよ」
「やっぱりシロ君は優しいねえ。一家にひとり欲しい子だねえ」
「うちもほしい。掃除するのめんどい」
「僕はそういう用途の人間じゃないんですけど」
「なんでもできるのが売りの名参謀でしょ? ほらほらあ、お肉もビビっと焼いちゃおう!」
シロエは細々としたことを考えながら肩をすくめて菜箸を操った。待っていれば中居さんが作ってくれるのかもしれないが、カナミがあんまりにもわがまま過ぎて迷惑をかけるのも憚られたのだ。公平な視点で見れば直継やカズ女史もかなりのペースで平らげているわけで、カナミだけが悪いわけではない。なんにせよ、中居さんという馴染みのない女性の手を煩わせるよりは、自分で動いたほうが気楽だと考えるシロエだった。
しかしそれがインティクスの気持ちを逆なでしてしまったらしい。
『わたしの話とすき焼きとどっちが大切だと言うんですか?』
――肉だろ。
――肉でしょう。
――シロくんわたし葱もたべたい。
案の定彼女を怒らせてしまう。
多少でも実のある話が出るのはそんなやりとりをさんざん繰り返したあとだった。
「でも、でも。やっぱり、そろそろ、いい景色、見たいね」
高級肉を嚥下したカナミは、とろけるような笑顔で言った。
〈茶会〉は大規模戦闘そのものを目的とした団体ではない。早期攻略レースの栄誉や、ましてや幻想級アイテムの入手を目的としているわけでもない。それらは手段にすぎない。目的は新しい冒険や景色であり、大規模戦闘の攻略は手段なのだ。
しかし新しい冒険や景色を手に入れるために、目の前の大規模戦闘をクリアする必要があるのも事実だった。
「ひーふーの、んー」
指折り数えたカナミは形の良い眉毛をよせると、よし! と気合を入れた。
「ささ来週の月末に、〈九大監獄〉をクリアしよう!」
リーダーのその言葉に直継やKRは呆れ、カズ女史はジョッキを空けた。
「おいおい正気かよ」
『それでこそカナミでしょ』
合。いけるよね? シーロくんっ」
にんまりわらったカナミは、ほっそりした白い指をシロエにつきつけた。
「情報は手に入ってる。必要なクエストはすべて攻略した。あとは現地の工夫と修練と気 いつもこれだ。
ひとたび発言をするとその内容は突飛で理解しがたく、しかもけっこうわがままだ。
シロエたち茶会のリーダーは奇人で天衣無縫なのである。
それが魅力になっているのだから始末に負えない。
シロエは僅かな劣等感と、それよりも大きな憧れをおぼえる。男子としてはスケールで負けてる自覚をするのは多少ちくりとしないでもないが、そういう比較そのものが通用しない人間なのだ。
そんなカナミがにまにまと笑いながら頼りにしてくれるのは、少しだけ心地よかった。ずいぶん薄っぺらい動機だな、と思いながら、シロエは頷く。
「わかりました。手に入るかぎりの情報は、入手済みです。ログ用のフィルタも作成しておきます。たぶん……」
ちらりと腕時計を見たシロエは、その体勢でカナミが示唆した締め切りまでの時間を考える。約三万一千分。チャレンジの回数は週末を考えればおそらく四回。
「たぶん、いけますよ。みんなが見たいと思っていれば、見られます」
良く言った、豆腐を食え譲ってやる、といった声が浴びせられてシロエは破顔した。
〈茶会〉は素晴らしい場所なのだ。その端っこに座っていることがシロエには嬉しかった。
これは〈大災害〉がおきる三年前、シロエがまだ自分のギルドを作るだなんて考えもしていなかったころ。〈放蕩者の茶会〉がヤマトサーバーで一番輝いていたころ。
シロエがなにも迷わず、躊躇わず、その翼を養っていたころの一夜である。